Story 5 アラン・カルポンティエ [ Alain F. Carpentier, M.D., Ph.D ] いのちを救う、その先の人生を想う

1975

その人は画家だった。
あるとき心臓弁を悪くし、機械弁での置換術を受け、いのちを取りとめた。しかしその数ヶ月後、弁周囲にできた血栓が原因となり手に麻痺が表れた。その人の画家としての人生は、そこで終わった。当時、機械弁は多くのいのちを救った一方で、血栓ができやすいという問題点があったのだ。

アラン・カルポンティエが生物由来の人工心臓弁(生体弁)の開発を志したのは、この患者との出会いがあったからだ。いのちを救うこと、そしてその先の人生が患者の望む形であること。これが、カルポンティエの目指すものだった。
スターに生体弁開発を相談すると、すぐにエドワーズの研究室を紹介された。スターもまた、自身とエドワーズが発明した機械弁の問題に気づいていたのである。
1965年、動物の豚の心臓弁に加工を施した生体弁で人体への弁置換術を行い、見事に成功した。
それからエドワーズの研究室とカルポンティエによる生体弁の共同研究がはじまった。そして、ブタ弁での初めての置換術が成功してから10年の月日を経た1975年、免疫反応を最小限に抑えた生体弁が製品化に至った。

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カルポンティエ氏

いのちを救うことから、その先の人生を想う。この想いは、現在の医療技術開発の現場でも変わることはない。医療とは、患者さんに寄り添いともに歩むことで進歩していくのだ。

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ブタの弁を用いた生体弁