Story1 マイルズ・ローウェル・エドワーズ [ Miles Lowell Edwards ] 今もなお、叶い続ける夢「人のいのちを救いたい」

1958

心臓は“機械化”できるか

マイルズ・ローウェル・エドワーズはそのとき確信を持っていた。人工心臓はきっとできる、と。
1958年、カリフォルニア州サンタアナにある彼の自宅ガレージで研究は始まった。もともとエドワーズはエンジニアである。すでに燃料ポンプなど多くの技術開発をしてきた。だから、人体の中でポンプのように血液を送る心臓もきっと機械化できる。そう信じて、人工心臓の発明に挑もうとしていたのだ。
自身の発明で所持していた特許を売却し、資金を手に入れ、ひとり研究室を立ち上げた。そのときエドワーズは60歳。決して若くない年齢だったが、新たな夢にかける情熱を燃やしていた。
きっかけは、自身が患った病だ。13歳でリウマチ熱を発症。10代の頃は再発を繰り返し、闘病生活を送った経験がある。リウマチ熱は、溶連菌により心臓や関節などに炎症を起こし、特に心臓弁の機能に悪影響を及ぼすことを彼は知っていた。

「自分と同じ病がきっかけで、傷ついた心臓を持つ人を助けたい」

病を患う人を想う気持ちと発明にかける強い意志は、現在でも私たちに脈々と受け継がれている。

画像:マイルズ・ローウェル・エドワーズの写真

自宅裏庭のガレージに作った研究室にて。
エドワーズはこの場所で人工心臓弁の発明に励んだ。

スター氏との出会い

エドワーズの運命を変えたのは、オレゴン州で心臓外科医をしていたアルバート・スターとの出会いだ。エドワーズは研究の最中、人工心臓への意見を求めて当時32歳のスターのもとを訪れた。計画を聞いたスターはこう助言した。

「人工心臓を開発するより前に、人工心臓弁を開発してみてはどうか」

人工心臓の開発はあまりにも無謀であった。それより心臓の中で重要な役割をはたす心臓弁なら、機械化の実現可能性が高いと、スターは考えたのだ。
それはまさに発想の転換だった。掻き立てられるようにして研究室に戻ったエドワーズは、すぐに人工心臓弁の構想を巡らせ、研究に没頭していった。それからわずか2年ほどで「スター・エドワーズ・ボール弁」は完成したのだった。

画像:スター・エドワーズ・ボール弁の写真

ふたりが開発した「スター・エドワーズ・ボール弁」

はじめて人工心臓弁をつけた男

1960年9月21日。世界ではじめて人工心臓弁を使った僧帽弁置換術が成功した。
患者の名は、フィリップ・アマンドソン。農業を営む男だった。その後、人工心臓弁を装着したままフィリップは10年生き、はしごからの転落事故で亡くなるまでその心臓は動き続けていた。
偉大な発明から60年。人工心臓弁は革新を続けながら、現在でも毎年何万もの命を救っている。エドワーズの夢は、今も叶い続けている途中だ。