|
|
エドワーズの歴史
エドワーズライフサイエンスの歴史は今からおよそ半世紀前、マイルズ・ローウェル・エドワーズ( Miles "Lowell" Edwards )がワークショップとして使用していた カリフォルニア州の小さなガレージから始まりました。
電気技師であったエドワーズは、航空産業、パルプ・製紙業、医療産業など様々な分野で 63 の特許を取得し た後、1957 年に引退し 、カリフォルニア州に移住しました。彼の発明の一つ、遠心式燃料ブースタ・ポンプは、第二次世界大戦終結時には、アメリカの軍用飛行機の 85 %に使用されていました。
彼の好奇心は引退後も冷めることなく、わずか数週間で新たなプロジェクトに取り組み始め、これが彼の人生や数え切れない多くの人々の人生を変えることになったのです。
エドワーズは 13 歳でリウマチ熱を発症し、 10 代の大半を度重なる再発に苦しみ続けました。リウマチ熱が心臓に悪影響を及ぼすことをこの経験で知った彼は、病んだ心臓を治療することへの強い使命を抱き始めました。 流体力学の知識を持つこの60歳の発明家は、引退後数週間のうちに心機能を研究し、これまで開発してきた燃料ポンプ同様、ポンプの役割を担う心臓 は機械化できるのではないかと考え始めたのです。 | |  | 早速彼はオレゴン大学のアルバート・スター博士( Dr. Albert Starr )に人工心臓 の開発の相談を持ち掛けました。しかし、当時の医療技術はまだ人工心臓を実用化するほど 発達してはいなかったため、「現在多くの命を救える最も現実的な人工臓器は人工心臓弁である」という スター博士の助言に従い、エドワーズは「人工心臓弁」の開発に取り組むことになりました。 スター博士とエドワーズの共同研究の結果、それからわずか 2 年後に僧帽弁の代用となるスター・エドワーズ・シリコンボール弁( Starr-Edwards Silicon Ball Valve )が登場しました。
オレゴン大学にて最初の移植手術を受けたのは、当時52歳の農場経営者、フィリップ・アマンドソン。彼はエドワーズと同じく幼少時に リウマチ熱を患った経験のある心臓病患者でした。彼の僧帽弁置換手術は成功し、全米の新聞に「奇跡の心臓手術」の大見出しを飾る大ニュースとなりました。
「あの人工心臓弁の発明は本当に幸運でした」と、多くの患者を救った治療を発明したエドワーズは後に語っています。そして、 一人でも多くの心臓病患者を救いたいという意思を彼は常に持ち続けました。
1982 年に亡くなる前 、エドワーズは米国医師会の「 Layman's Citation for Distinguished Service」 の史上 6 人目の受賞者になりました。この賞はエドワーズを次のように称えました。
「その天才的な発明が人工心臓弁に発展をもたらし、人間福祉への献身的な行動が世界中の心臓疾患に苦しむ人々に新しい命と希望を与えた。まさに信義と勇気に満ちた人物である」
組織の変遷を繰り返しながらも、私たちは心臓病治療の歴史を大きく塗り替えたエドワーズの精神とその製品とともに生きています。 2000 年 4 月には、彼の探究心や夢への大きな挑戦を引き継ぎ、社名をエドワーズライフサイエンス社として独立し歩み始めました。
尊い全ての命のために、今日も全世界のエドワーズライフサイエンス従業員一人ひとりが 重度の循環器疾患と闘う患者さんとその家族、医療現場の皆様を応援しています。 |
|
|
|
|
|
 |
|
|
 |